解説・雑記

≪雑記帳≫

2011年8月31日(水)  曇のち雨   上海に行きたかった男A (食事編)

「観光編」は8月29日、「風俗・習慣編」は9月1日、「始末記」は9月3日に掲載しています。


 私から「上海で、鳩の丸焼きを一度に3羽食った」とか「鴨をまる一羽、燻製にしたやつを食った」とか「火鍋でコブラのブツ切りを煮て食った」といった経験をお聞きになったことがある方は、今回も土産話を期待していらっしゃることでしょう。

 うーん、ごめんなさい。今回は、家内や他の同行者が中国初心者なもので、なんというか、普通(?)の中国料理を味わってきました。
 見た目は日本でも食べられるような料理ですが、そこは本場の料理人が作るものですから、全然違う次元の美味しさです。


≪北 京 編≫

北京ダック

 はぁ〜、北京で北京ダック・・・でも、地元の人に紹介していただいた「金飛徳」という店は、北京でもトップクラスに北京ダックが美味しいことで有名だそうです。
 うん、確かに癖の無い、日本人の口に合って食べやすい料理の数々でした。紹興酒が1杯75元(約1,000円)と中国にしてはバカ高い値段でしたが、コクの深さが絶品で満足できました。


    


    



≪西 安 編≫

西安餃子

 西安(昔の長安)は餃子の発祥地でもあり、あの孔子も餃子大好き人間として知られています。中国では日本と違って、水餃子と蒸し餃子が中心です。

 今回は、様々な餃子18種類が出てくるコースをいただきました。金魚の形をしたもの(写真一番左)をはじめ、いろいろ工夫が施されていて、味も良かったと思います。

 ただ、次々に出されてきて、それを撮影したり、その間に酒を飲んだりしているうちに、どれがどれだか分からなくなって・・・何を食べたかあまり覚えていない・・・でも、トータルで美味しかった・・・という記憶だけが残りました。


    


西安の料理全般

 西安はシルクロードの出発点(終点)であったため、料理の味付けが北京とは違って“異国情緒が漂うスパイシーな味わい”が特徴です。四川料理ほどではないのですが、唐辛子を多く使ったピリ辛風が多いという印象です。

 北京から西安に飛ぶ飛行機が3時間近く遅れたため、到着が夜中の12時になってしまいましたが、なんとホテルが夜食を用意してくれました。
 シンプルなチャーハン、ピリ辛の野菜炒め、卵スープでしたが・・・もしかしたら、今回の訪問で一番美味しい料理だったかも知れません。

   


 下掲写真は、上記の二日後に西安空港付近のホテル内で食べたものですが、上品な味付けながらもピリ辛さがアクセントとなっています。

    



≪食の安全編≫

 これから中国旅行をお考えの皆さん、中国は“医食同源”の国であり、美味しい食べ物に満ち溢れています。

 ただし、衛生観念は日本人に比べると非常に低いので、口にするものについては食べ物も飲み物も十分な注意が必要です。

 日本人は世界一清潔な環境で生活しているため、逆に“世界一免疫力の低い国民”だとも言えます。10年ほど前、インドネシアでコレラが発生した際、病院に運び込まれたのがことごとく日本人観光客だった、というエピソードが如実に物語っています。

 また、5年前に上海を訪れて、ある訪中団の晩餐会に参加させてもらった際、上海市政府の高官が「私は上海で採れた野菜は食べたくない」と、ポロッと口にしたのを聞き逃しませんでした。

 はい、いろいろなことがありますので、中国ではそれなりのクラス以上のホテルやレストランで食事をすることをお勧めします。
 北京や上海のような大都会の一定クラス以上のレストランでは、東京で食事をするのと変わらないレベルの値段になってしまいますが、安心して美味しいものを食べようと思ったら、そのくらいの自己防衛は覚悟しましょう。


 「屋台で、庶民が食べるものを一緒に食べて飲んで、語り合わないと、本当にその国の良さは分からない」と言う人も多いのですが・・・たしかに理想論ではありますが・・・どうぞ自己責任において、自分一人でやっていただきたいものです。

 私も個人的には、現地の人と現地の酒を酌み交わすことが大切であると思いますし、実際そうしてきましたが、短期間に観光のみを楽しみたいというニーズの人に、理想論を押し付けるのは良くないと思います。
 なぜなら、外国では不用意に食事したり飲んだりすること自体にリスクを伴うものであり、一般の観光客は、そこまでの覚悟をしていないからです。




 はい? 今度は上海で何を食ってきたかですかぁ? ・・・そうですねぇ、上海蟹には季節が早過ぎますし、実は鰻(日本の鰻よりかなり太い)も名物なんですがねぇ・・・まあ、長くなりましたし、そこら辺のことは、またの機会ということで。



【おまけ写真】

 下掲の写真は、遅れた飛行機の中で出てきた機内食です。ハンバーガーの出来損ないのような、なんだか得体の知れない食べ物でした。はっきり言ってマズイです。もし、JALかANAでこんなものが出てきたら、大クレームになるでしょう・・・ちなみに中国国際航空(Air China)です。

   
 固くて、パサパサで、何とも言えない味と食感で・・・中国の“食”のイメージを落としてしまいそうです。


「観光編」は8月29日、「風俗・習慣編」は9月1日、「始末記」は9月3日に掲載しています。

2011年8月29日(月)  晴   上海に行きたかった男@ (観光編)

「食事編」は8月31日、「風俗・習慣編」は9月2日、「始末記」は9月3日に掲載しています。


 先週、北京→西安→上海のスケジュールで中国に行ってきました。1994年、改革開放が進み始めた頃の中国に初めて足を踏み入れて以来、何度も訪問してきましたが、今回は良くも悪くも新鮮な感覚で過ごしました。

 実は、これまで仕事絡みで訪問したため、万里の長城(北京郊外)、兵馬俑(西安)、豫園(上海)といったメジャーな観光地をゆっくり見物したことがありませんでした。そこで、今回はハードスケジュールながらも、まずはその3ヵ所は押さえておこうと考えた訳です。

 中国に来るといつも思うのですが、
   実際に来て、そこに立って、目で見て肌で感じないと、その本当のスケール感は分からない
ということです。今回は、特にその思いを強くしました。


≪北 京 編≫

天安門広場

 明代・清代を通して皇帝の宮城であり政治の中枢でもあった紫禁城、その一番南側の門であり、皇帝の詔書を宣布する場所だったのが「天安門」です。1949年、毛沢東主席が中華人民共和国の設立を宣言したのも、この門上でした。

 天安門の前に広がる世界一広大な広場(40万m2以上、南北に880m・東西に550m)が「天安門広場」です。ここに立つ度に、そのスケールのデカさに驚嘆します。
 天安門が広場の北側にあり、西側に人民大会堂(国会議事堂に相当)、南側に毛沢東主席が眠る毛主席紀念堂、東側に中国歴史博物館・革命博物館が見えます。ここをグルーッと歩いて一周するだけで30分以上かかります。


     
 天安門: 中国を象徴する荘厳な建造物であり、この門をくぐると、広大な紫禁城を見学できます。

     
 西側: 人民大会堂            南側: 毛主席紀念堂          東側: 中国歴史博物館・革命博物館


紫禁城(故宮博物院)

 天安門をくぐって、同じくらいの大きさの門をさらに3つくぐって(その間に広大な敷地がそれぞれ広がって)、ようやく一番重要な建物である「太和殿」にたどり着きます。
 ここは、映画「ラスト・エンペラー」にも出てきたので、ご記憶の方も多いと思います。この建物のスケール自体も凄いのですが、他にも特筆すべきことが様々あります。

【皇帝の絶大な権力】
 例えば、中国では皇帝は龍の化身であると考えられ、建物に9匹の龍を描いたり彫ったりすることが多いとのことです。
 だからと言って、何十万トンもある御影石を、何百kmも、何年もかけて引っ張ってきて、わざわざ龍を彫らせるという・・・その絶大な権力には驚きます。(下掲写真の左から2番目)

 また、裏庭にちょっとした社を造るからって、なにも4千個もの大石を積み重ねて造らなくたって・・・それは庶民の感想で、時の権力者は思いつきで大土木工事を簡単にやってのけてしまうのでした。(下掲写真の左から3番目)

【なぜ博物院・・・?】
 なお、紫禁城は現在では「故宮博物院」となっており、裏門にあたる神武門(下掲写真の右側)にその看板が掲げられています。
 なぜ「博物館」ではないのか・・・それは、紫禁城の中の宝物・文物はことごとく蒋介石が台湾に持って行ったため、ここには貴重なものはほとんど残されていないのです。

 そう、見学の続きは・・・台湾を訪問して、台北にある「故宮博物館」で見るしかないのです。ふっふっふっ、台湾に旅行する口実が出来た訳です。
 それにしても、中国政府が台湾の独立を認めない訳・・・政治的・軍事的・経済的以外の理由・・・が分かるような気がしますね。


    
 明代・清代の皇帝は、ここで生活し、国家儀式を行い、絶大な権力をふるってきました。


万里の長城

 ほんっとに、ごめんなさい。頭の中では、宇宙から見える唯一の建造物だっていう知識は持っていて何となく凄さを想像していましたが、心のどこかで「こんな壁一枚、大軍でワーッと押しかけたら、けっこう乗り越えられたりするんじゃないの〜ぉ」と思っていました。

 とーんでもない。長城の上部が観光客も歩けるコースになってはいるのですが、かなり急勾配な場所が多く、身軽な服装で運動靴を履いていても、けっこうキツイ思いをしました。
 ましてや、武具を抱えて、頂上から浴びせられる矢や投石を避けながら、壁をよじ登って、その上に居る敵と戦って勝ち、向こう側に降りて、またそこに居る軍勢と戦って・・・ムリ〜ッ、絶対ムリ〜ッ

 私が昇ったのは、八達嶺という観光名所になっている所でしたが・・・要は、一番歩きやすい所ですね・・・それでも最も高い場所にある関門にたどり着いた頃には足がパンパン、息がゼーゼーの状態になっていました。

 こんな建造物を13,000kmも造ってしまうという、中国人のスケールのデカさというか、時の皇帝たちの権力の絶大さというか、ホントにもう呆気にとられるしかありません。


     
 軍事力が弱いと定評の宋王朝・・・女真族(金王朝を設立)にここを突破され、南方に追いやられました。
     
 観光客が普通に歩けるようになっていますが、かなりの急勾配です。家内も手摺を持ってゆっくり降りています。


≪西 安 編≫

兵馬俑

 紀元前3世紀後半、秦の始皇帝が中国全土を制覇し、文字・法律・度量衡の統一を図り中央集権国家を築きました・・・と言えば聞こえはいいのですが、その向こう側では膨大な土木建築工事に大勢の民が駆り出され、塗炭の苦しみに喘ぎました。

【始皇帝の想像を絶する土木事業】
 始皇帝が命じた主な大土木事業としては、万里の長城、阿房宮(敷地ではなく、建物の一辺が4kmあったと推定)、そして始皇帝陵などが挙げられます。

 始皇帝陵は世界最大の陵墓として知られていますが、まだ考古学的な発掘・分析がほとんど進んでおらず、全容は未だ不明です。

 ただ、司馬遷の史記によると、陵墓の地下は生前に住んでいた宮殿が再現されており、池や川には“水銀”が使われ、あたりは独特の煌めきに照らされているそうです。(人工衛星による調査で、陵墓付近の比重が異常に重いらしいことが分かっており、この記述もあながち大袈裟とは言えないそうです。)

【兵士像の圧倒的な量、そして緻密さ】
 あまり歴史に興味の無い人が上記を読んだら「そんなバカな話、ある訳ないでしょ」と思われるでしょうが、この兵馬俑を目の前で見せられたら「ホントにそうだったかも」と思われるに違いありません。

 始皇帝は、死んだ後も8千体の兵士の像に守られたのです。発掘された範囲で8千体ですから、始皇帝陵の全てが解明された暁には、どれだけ凄い数字になることやら・・・

 これらの兵士像は、一体一体の顔や服装が違っているところが驚かされます。つまり、型にはめて大量生産した訳ではなく、実在した兵士や司令官をモチーフに全て一から作り上げたと考えられています。
 しかも、現在では光や湿度のせいで色が灰色になってしまっていますが、発掘された当初はカラーだったそうです。どれだけの労力と時間が費やされたのか、考えるだけで気が遠くなりそうです。

【青銅製の馬車】
 国外への持ち出しが一切禁じられている、国宝の中でも超一級とされる発掘物です。兵士像は日本にも持ち込まれ、各地で展示会が開かれましたが、この青銅製の馬車は未来永劫ここでしか見ることができません。
 今回は、この青銅製の馬車を見ることができただけでも、時間をやりくりして中国に来た甲斐がありました。(兵士像も青銅製の馬車も、撮影が許可されていることを確認しています。)


    
 この規模、この広さ、想像をはるかに超えた迫力です。さらに、一人一人の表情が豊かなことに驚かされます。

    
 馬の像もあります。また立像だけではなく、片膝をついた像や、貫録十分な司令官の像など多彩です。

      
 青銅製の馬車: 色が褪せないよう暗い部屋に安置されています。     向こうに見える小高い山!が始皇帝陵です。


大雁塔

 西安は、かつて長安と呼ばれ、唐代には世界最大の都市として栄えました。また、シルクロードの出発点として歴史上大きな役割を果たしました。

 唐代の僧・玄奘(西遊記で有名な三蔵法師)が、シルクロードを渡って天竺(インド)より持ち帰った仏教経典を納めるために建立されたのが「大雁塔(だいがんとう)」です。
 こういった形状の建物を前にすると「中国に来たなあ」と実感できます。慈恩寺という寺の境内に建てられたもので、西安のシンボル的な存在となっています。


    
 どこから見ても中国らしい建造物の数々です。北京の紫禁城で見た「龍のレリーフ」の縮小版もありました。



 以上、今回の訪問では本当に「実際に来て、そこに立って、自分の足で歩いて、目で見て肌で感じないと、本当のスケールの大きさが分からない」ということを、あらためて強く感じました。

 なお、日本はこれからも中国とは深い関係を持ちながら進んで行かざるを得ない訳ですが、仲良くするにせよ、争うことになるにせよ、彼らが「何事につけても、この壮大なスケール感を基に考える人たち」ということを念頭に置いておかないと、昭和時代のように方向性を誤ってしまうでしょう。



 はい? なんですか? 上海はどうした・・・ですか?  はぁ・・・そうですね、ちょっと長くなりましたし、そこら辺のことはまた、あらためてということで。

 なお、これから「食事編」「文化・風習編」「なんじゃ、こりゃあ(松田優作風)編」にて、今回の中国訪問についてレポートする予定です。楽しんでいただける皆さまにおかれましては、お楽しみに!


【おまけ写真】

トロリーバス:
 パンタグラフで電線から電気を取りながら、タイヤで走る不思議な乗り物です。写真の乗り物は二両編成になっています。日本でも昭和40年代までは走っていました。(福岡には無かったような・・・)

兵馬俑を発見した爺さん:
 畑を耕していて、偶然に発見したそうです。この爺さんが、掘り出した兵士像の破片を専門家に見せなかったら・・・世紀の大発見は無かった訳です。
 ちなみに、爺さんは兵馬俑博物館の副館長となり、公務員として一生安泰の身となりました。昨年、定年退職し、今は暇なので近所のレストランで観光客の相手をして過ごしています。


                   
         おまけ写真@ 北京市内を走るトロリーバス    おまけ写真A 兵馬俑を発見した爺さん


「食事編」は8月31日、「風俗・習慣編」は9月2日、「始末記」は9月3日に掲載しています。

2011年8月24日(水)  晴   雑記帳は、来週から再開するざんす。

 おこんにちは! なんざんすか? その「また、お前か!」みたいな目つきは・・・工房主のウラちゃんから伝言を預かってるざんす。雑記帳は少々お休みして、来週から再開するらしいざんすよ。


        
    再開第一弾は、中国レポートの予定らしいざんす。

2011年8月23日(火)  曇のち晴   “自己中発想”は、超一流の証かも・・・

 日曜夜の「EXILE魂」を観ていて、気になるシーンがありました。一昨日は、AKB48が二週連続でゲスト出演をし、総合プロデューサーの秋元康氏も同席するという豪華版でした。

 ラストの場面で、EXILEのリーダー・HIROが「では、最後に秋元さん、何かコメントを」と催促したら、秋元氏は「EXILEとAKB48のファンの視線が注がれる中で、僕は居てよかったの?」という・・・求められた締めの言葉から離れた、なんだか的外れのコメントで、チャンチャン♪という感じでした。

 たしかに秋元さんは大物ではありますが、その場の主役はEXILEと直接のゲストであるAKB48ですから、番組最後のコメントとしては、「僕は・・・」という話題ではなく、主役たちに関する話題の方が通常は好ましいでしょう・・・通常は・・・


●超一流の成果を挙げた芸能関係者は、みんな同じ?:

 そういえば、ユーミンも以前にNHKの番組で、田舎の分校の中学生たちと交流し、卒業式に招かれてコメントする場面があり、私は少々違和感を覚えました。
 ご想像の通りです・・・ユーミンは卒業生に向けて「私は、皆さんと交流できて幸せでした」という旨のコメントを送ったのです。
 コンサートの打ち上げでは、末端のスタッフにまで酒を酌して回ると言われる思いやりに溢れたユーミンでさえ、卒業生に対して「皆さん、卒業おめでとう・・・」とか「皆さんの未来について・・・」ではなく、「私は・・・」というスタンスで話したのです。

 これが小室哲哉さんになると、さらに極端です。現在日本ハムで活躍中の斎藤祐樹投手が、早稲田実業時代(ハンカチ王子の頃)に甲子園で優勝した際、同校のOBである小室さんは「俺はなんてラッキーなんだ!」とコメントしたのです。
 あの〜、ラッキーなのは優勝した選手および関係者たちと、まあ在校生や親たちあたりまでだと思うのですが・・・

 秋元さん、ユーミンさん、小室さん、いずれも(人によって好き嫌いの差はあるでしょうが)楽曲のセールス面で超一流の成果(数字)を挙げた方々です。
 こういう方々がコメントを求められた際、とっさに「私は!・・・」という言葉が出るところに興味を覚えました。

 エンターテイメントの世界ですから、他人を楽しませてナンボです。素晴らしい成果を残す人は、やはりサービス精神が旺盛ですし、ファンを大切にしますし、人を喜ばせることに生き甲斐を感じています。
 ・・・でも、口に出る言葉は「私は!・・・」 うーん、とても面白いです。


●ビジネスにも応用できるか・・・?:

 通常のマナー研修やコミュニケーション研修の類では、上記の場合、下記のようなコメントをするように教えるでしょう。

  秋元さんの場合
    → 招いていただいたEXILEへの感謝の言葉や、AKB48を今後もよろしく、といった言葉
  ユーミンさんの場合
    → 卒業していく生徒たちに対して、祝辞や人生の先輩としてのアドバイス・激励
  小室さんの場合
    → 優勝した選手たちへの「おめでとう」や労いの言葉


 でも、“通常”とは違うコメントをする方々が、実際にはビジネス上で(少なくとも売上面で)、素晴らしい実績を挙げているのですから、我々ビジネスに従事する者としては一考の余地がありそうですね。

 エンターテイメントの分野は「右脳(感覚的思考や芸術性を司る)」の世界だから、通常の真面目な言葉より、感覚的にズレていて光る言葉の方が面白く受け入れられる・・・一方、通常のビジネスの分野は「左脳(論理的思考や科学性を司る)」の世界だから、面白い言葉が即通用する訳ではない・・・という仮説はすぐに思いつくでしょう。

 ただ、もっと事例を集めて分析していくと、何だか予想もし得ないような興味深いことが現れてきそうな気がします。少々気長に構えながら、いろいろ探ってみたいと考えています。

 まだ鮮明なイメージではないのですが、ペップトーク研修の延長線上にあるような・・・ビジネス成果を挙げるための“考え方のスタンス”“自分を鼓舞するためのスタンス”に関するノウハウが出来そうな気がするのです。


                      
   ちなみに、私は研修中に「自分は、自分が好きです」と発言して、かなり批判されたことがあります・・・なぜでしょう?

2011年8月19日(金)  曇のち雨   暑い夏は、「もやしカレー」で乗り切るざんす

 おこんにちは! お久しぶりの自称・B級料理のファンタジスタ “トレビアーン・マサ” ざんす。なんざんすか? その「誰だ、おまえは」的な目つきは・・・ま、最後まで読んだら分かるざんすよ。

 今日は雨のおかげで少しマシ・・・でも、暑さはまだまだ続くざんす。そんな暑い夏を乗り切るためには、辛いカレーが一番ざーんす。

 いつもは、市販のカレー・ルウを使うような素人さんみたいな真似はしないざんす。ターメリック、コリアンダー、ナツメグ、カルダモン、レッドペッパー、クローブ、フェンネル、セージ・・・10種類以上のスパイスを調合して自前のカレー・ペーストから作ってるざーんすよ。

 でもまあ、今日紹介するのは“炒めもやし”を使ったサッパリ系カレーざんす。だから、市販のカレー・ルウで十分に間に合うざーんす。良かったざんすね。


異次元シャキシャキ食感が抜群の「もやしカレー」

 “もやし”は体にいいざんす。白飯の上に、ホワイトペッパーを振りかけて炒めた“もやし”を乗っけて、周りにカレー・ルウをかけたら完成ざんす。シンプルにして、食感が良くて、汗で流れたミネラル分を補ってくれる、夏バテ防止に最高のカレーざんすよ。

 ルウに入れる具は、豚肉、玉ねぎ、ニンジン、しめじ、ピーマン・・・何でもいいざんす。体に良さそうなものは全〜部、使っちゃうざんす。

 それから、ルウのこだわりとしては「S&Bの濃いとろけるカレー、濃厚デミグラスが決めて(写真左)」と「グリーンコープのCURRY(写真右)」を合せて、「限りなく本格的だけど、なんか家庭的まろやかさだよね」的な味わいにすることざーんす。

 もし上記のルウが手に入らないようなら、そこはやっぱりスパイスの雄 “S&B” のルウをベースに、他のメーカーのルウを適当に合わせるざんす。単独のルウより、複数のメーカーのルウを合せることで深みが出るざんす。


           
        カレーの辛さと、もやしのシャッキリ感・・・今年の夏は、これで決まりざんす。



栄養と食感で勝負の「ソーメン」

 夏バテ気味で食欲がない人も、ソーメンなら何とか食べられるざんすね。それでも、麺つゆでツルツル〜ッ、じゃあ体力がつかないざんす。

 そこで、玉ねぎ、ニンジン、しめじ、ピーマンなど、野菜をたっぷり煮て・・・おや? どっかで見たような、でも、そこがB級のお手軽さざんす・・・そこにウィンナーをぶつ切りにして煮込むざんす。

 やっぱり食欲を増すには食感も大切ざんすから、ソーメンはやや固めに茹でて、ウィンナーも歯ごたえのシャッキリしたものを選ぶざんす。
 おすすめは、日本ハムの “シャウエッセン”、伊藤ハムの“アルトバイエルン” あたりが良い感じざんすね。ウィンナーは、とにもかくにも歯ごたえが命ざーんす。

 いつもは料理しない人も、これなら“煮過ぎないこと”さえ気を付ければ、夏バテ防止に効果のあるソーメンが食べられるざーんす。頑張って作るざんすよ。


          
        ソーメンは、自然に汁も薄味になるので、塩分を取り過ぎずに済むざんす。

2011年8月18日(木)  晴   松屋銀座の「ルパン三世展」に行ってきました。

 1971年に始まったTVシリーズPartTをリアルタイムで観て育った世代の人間としては、こりゃもう、たまりませんな。
(「ルパン三世のジャケットの色は?」と聞かれて「赤色」とお答えの方は、ここから先を読まれても意味不明に感じると思いますが・・・)


 会場内には、1967年の「漫画アクション」連載第一回目の原稿とか、原作者モンキー・パンチ氏直筆の原画・原稿とか、TVシリーズ(PartT〜V)や映画「カリオストロの城」などの制作で使われた設定画やセル画といった貴重な資料の数々が所狭しと展示されています。

 また、通常は一般には公開されないパイロット・フィルム(制作側が、映画会社やスポンサーに「こんな感じです」とプレゼンするための5分程度のアニメ)を鑑賞することもできます。

 主要メンバー5人の等身大フィギュア(下掲写真の右側)の裏側には、峰不二子のプロポーションが B99.9、W55.5、H88.8であるとか、次元大介の愛用銃は“S&W(スミスアンドウェッソン) M19コンバット・マグナム”であるとか、ルパン三世の愛用銃は“ワルサ―P38(ドイツ軍の軍用拳銃)”であるとか、ファンにとっては基本かつ必須情報が記載されています。


TVアニメーションのルパン三世

 1971年に始まったTVシリーズPartTは、大人向けのアニメというコンセプトが当時としては世に受け入れられず、視聴率的には低迷したようです。(それでも23話続きました。)

 しかし、私を含めファンなら誰もが名場面として記憶している、第11話「7番目の橋が落ちるとき」

   ・・・ルパンが両手を手錠で繋がれたまま、桟橋の切れ端を板にして水上スキーしながら、
      ワルサ―P38の撃鉄を口にくわえて起こして引鉄を引き、前を走るモーターボート上
      の敵に向かってバーン!・・・

これをスローモーションで、BGMはエンディングテーマの口笛バージョンで描く訳ですよ。思い出しただけでゾクゾクしますね。

 このように、後のシリーズでは見られないハードボイルド・タッチな場面が続々と出てきて、今でもファンの間ではTVシリーズPartTの作品群を最高峰と推す人が多いのです。
 ちなみに、この時のルパン三世のジャケットの色は「赤色」ではなく「緑色」でした。どうでもいいことのように思えますが、どうでもよくはないのです・・・昔からのファンにとっては。


 さて、1976年から放映されたTVシリーズPartUから、誰もが知っている赤いジャケットや、♪チャッチャラッチャー、チャーチャチャー♪のテーマ曲などが定着しました。
 PartTの時のようなハードボイルドなシーンやお色気シーンはカットされているので、お茶の間で家族そろって夕飯を食べながら観ました・・・ただ、エンターテイメント性たっぷりで面白いけど、ある種の“毒”が抜けてしまって「サザエさん」と同レベルになったことについて、ファンの間ではガッカリ感が漂いました。


映画「カリオストロの城」

 「TVシリーズPartTこそルパン三世の真髄」と考えるファンの中には、この「カリオストロの城」を否定する人が多いようですが、私はルパンとクラリス王女の淡い恋心について「ローマの休日」を重ね合せてしまい・・・オードリー・ヘプバーン大好き人間としては、「カリオストロの城」を筆頭に挙げてしまうのです。

 ラストの場面で、銭形警部が「やつ(ルパン)は、とんでもないものを盗んでいきました。それは、あなたの心です」と、似合わないキザなセリフをクラリス王女に臆面もなく言ったり、また彼が指揮する警官隊が乗っているパトカーのドアに“埼玉県警”と描いてあったり・・・宮崎駿監督らしい遊び心が見え隠れします。

 ここら辺のエピソードは、テレビ番組でよく出てくるので知っている人も多いと思いますが、私のイチオシ場面は、銭形警部と警官隊がカップヌードルを食べながらカリオストロ城の前で警備している場面です。
 これは、「浅間山荘事件」を髣髴とさせる場面です。実際、浅間山荘を取り囲んだ警官隊が、冷えた身体を温め空腹を満たすために食べたのがカップヌードルだったのです。



 原作者のモンキー・パンチ氏が、アメリカの人気アニメ「トムとジェリー」を意識しながら「ルパン三世」を作り上げた話とか、原作の第一話に「明智小五郎」という老警部が出てきたとか、エピソードを書き始めたらキリがないのですが、またの機会にしたいと思います。


       
   会場内は私と同世代のお客さんがいっぱい!     峰不二子と町でスレ違ったら、鼻血が出てしまうと思ふ・・・


             
   両手を封じられた状態で、水上スキーをしながらワルサ―P38を撃つ名シーン

2011年8月17日(水)  晴   猛暑お見舞い申し上げます・・・でも、走ってます。

 東京周辺は、連日のように最高気温が35度前後と猛暑日が続いていますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 私は暑いながらも毎朝ジョギングをしています。さすがに距離は7km〜10km程度ですが、“アリとキリギリス”のように、暑いときにコツコツと一生懸命やっていれば、きっと秋になって良いことがあるに違いありません。

 そう、10月16日(日)のタートルマラソン大会(ハーフマラソン)にエントリーしているので、今度こそ・・・無様な走りをする訳にはいかないのです。


 ま、そうは言いながらも、私のジョギングコース(駒込〜谷根千〜上野公園)は観光スポットのオンパレードなので、楽しみながら走ることができます。


●今日の風景:

【上野動物園】
 正門前には8時過ぎの段階で、パンダを目当てに大勢の人々が押し寄せていました。そういう訳で、近くに住んでいながら、私はまだパンダを見ていません・・・

【不忍池の蓮】
 不忍池(しのばずのいけ)の半分は、この季節は蓮の葉と花で覆われます。大都会の真ん中で、幻想的な風景を楽しむことができます。

【不忍池から望むスカイツリー】
 弁天堂とスカイツリーを一緒に見ることができるポイントがあります。携帯カメラで撮ると弁天堂が分かりにくいので、今度はちゃんとしたカメラで撮影します。


       
    やっぱり、パンダは超人気者!       ここを走るたびに心が洗われるような気がします。


                         
 不忍池に浮かぶスワンボート、弁天堂、スカイツリーの3点セット        忘れまじ・・・6月5日の屈辱

2011年8月15日(月)  晴   核兵器の恐ろしさを世界に伝えるメッセージ

 今年も終戦記念日が巡ってきました。昭和天皇による「終戦の詔勅」がラジオから流れ、これで日本の敗戦が(少なくとも国内レベルでは)確定し、復興への険しい道程が始まりました。


玉音放送の注目すべき箇所

 この「終戦の詔勅」は、昭和天皇が皇居内で朗読され、それを録音したレコード盤をラジオ局(現NHK)に持ち込んで放送されました。
 このレコード盤を奪取して戦争継続を天皇に訴えようと、青年将校がクーデターを決行する様子が映画「日本のいちばん長い日」で描かれました。

 ところで、ラジオから流れた「終戦の詔勅」は通称「玉音放送」とも呼ばれていますが、「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・・」という有名なフレーズの他に、次のような注目すべき箇所があったのです。


    加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所
    眞に測るへからさるに至る
    而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす
    延て人類の文明をも破却すへし


    敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪のない人たちを殺傷し、その痛ましい被害は
    計り知れない。
    このまま戦争を続ければ、最後には我が民族が滅亡するだけでなく、
    人類の文明をも破滅させてしまうだろう。


戦争は権力者の判断を誤らせるもの

 「終戦の詔勅」の原稿は、もちろん天皇が執筆した訳ではなく、政府内の担当者が推敲を繰り返して書き上げ、軍部を含めた首脳陣の間で喧々諤々の議論を重ねて仕上げられたものです。

 ということは・・・軍部をはじめ、政府首脳部は「原子爆弾の威力と、その被害がいかに甚大なものであるか」「原子爆弾を利用した戦争は、一国ではなく世界全体を滅ぼすものであること」を、ある程度正確に把握していたことになります。

 これは、重要な事実を示しています。すなわち、本土決戦で“竹槍攻撃”による“一億総火の玉”を主張する頑迷な陸軍の姿ばかりがいつも強調されますが、実際は、陸軍のトップを含めてもっと冷静に事実の把握と分析ができていたのです。

 3月の東京大空襲の時点で、あるいは5月の沖縄総攻撃の時点で、上記のような冷静な事実の把握と判断ができていたら・・・と考えると痛ましさが倍増しますが、おそらく終戦への反対勢力(主に軍部)が黙ってはいなかったでしょう。

 一度走り始めた“暴走機関車”は、簡単には止めることができないのです。「冷静な事実の把握と分析」が出来なかったのではなく、様々な“強大な負の力”によって蹴散らされたのです。だから・・・だからこそ、戦争に踏み切ってはならないのです。


天皇が発した平和へのメッセージ

 核兵器の恐怖と、核兵器を使用した戦争による被害の甚大さを示すメッセージが、長崎に原爆が投下された日(8月9日)から、わずか一週間以内に初の被爆国になった日本から発せられた意味や意義を、我々はもっと深く考える必要があります。

 もちろん、「終戦の詔勅」の第一の目的は国民に対して「終戦(敗戦)」を伝えることですが、英訳されて連合国側にも放送された事実をとらえて、第二の目的は「連合国ひいては世界へのメッセージ」であったと個人的には考えたいのです。

 連合国側は「日本がポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した」とのみ受け取ったでしょうが、日本は最後の力を振り絞って「核兵器という悪魔を生み出した連合国への抗議と、核戦争を行なってはならないという強い示唆を与えた」と解釈したいのです。


 おそらく、戦争責任の問題も絡みますので、上記のような考え方には反対される人も多いでしょう。しかし、戦後様々なことが起こり、現在では、

  ・テロの増加もあって、相変わらず減ることのない戦争と核兵器の脅威
  ・中国の台頭により緊張感が高まる東アジアでの軍事的パワーバランス
  ・経済危機もあり、米国主導だけでは上手く進まなくなった世界の秩序
  ・平和利用ですら甚大な被害を想定しなければならない原子力

こうした混沌とした状況が生まれてしまいました。


 その中で、日本には勤勉な国民性と技術力を駆使することで、世界の平和や経済の安定などに貢献することが求められており、またそれに応えることが日本のアイデンティティーの確立と発展の礎となります。

 そのように考えると、政治的・イデオロギー的・感情的・・・いろいろな考え方や感じ方の違いはあるにせよ、日本が今の日本を築く原点となった「終戦・復興」に思いを至らせ、その宣言ともなった「終戦の詔勅」を率直に読み返すことは大切なことだと思うのです。


                     
  今も厳重に保存されている「終戦の詔書」が録音されたレコード盤: 反核・恒久平和への象徴とも言えるでしょう。

2011年8月12日(金)  晴   御巣鷹山のこと・・・今年は例年と違った感覚かもしれません

 昨日は大震災の話題を、今日は26年前に発生したJAL機の御巣鷹山への墜落事故の話題を書くことになるなんて・・・自分は直接の被害を受けてはいないながらも胸が痛みます。

 御巣鷹山のことは、昨年の今日 また、今年も巡ってきました・・・御巣鷹山のこと で記載しましたが、今年は単に“思い出す”というレベルではなく、「安全神話の崩壊」ということと合せて考えてしまいます。


安全神話なんか、最初から無い

 どんなに高性能の機器を駆使し、万全なチェック体制を敷いたとしても、人間が運用するからには「100%の安全はあり得ない」という事実を、26年前に痛いほど見せつけられたはずです。
 しかし、時を経て、また違う分野のこととなると、人間は過去の教訓を忘れ、今度は原子力発電所の事故を引き起こしてしまいました。

 もちろん原子力発電所の事故の直接原因は津波ですから、天災の要素もあるのでJAL機の墜落と同レベルで語ることはできませんが、少なくとも「安全神話の崩壊」などという耳触りの良い言葉で誤魔化してはいけないという点では共通しています。

 どんな原因であれ、事故が発生したということは、
      ・事故が起こるかも知れないという可能性・危険性から目をそむけていた
      ・臭いものに蓋をしていた
ということなのです。


経営に関わる者の責任

 「いやいや、あの頃の技術レベルでは、その可能性を知ることはできなかった」とか、「まさか、千年に一度の危険性が現実化するとは思わなかった」というのは、単なる言い訳に過ぎません。

 事故をめぐる訴訟に至った際に、法廷ではそのように答弁するよう弁護士から言われるでしょうが、それだけでは企業経営に関わる者として、以下の責任を果たしていません。

      ・犠牲者や遺族に対して、心から謝罪すべき責任
      ・顧客や納税者に必要以上の負担をかけずに事業を全うする責任
      ・そもそも、人の命に関わる事業を、安全に全うする責任

 これは、企業経営に関わる全ての人々が・・・私のようにコンサルティング業務で関わる人間を含め、肝に銘じておくべきことです。


                
 格安航空会社が台頭している現在・・・「お客様の命」と「収益性・効率化」が天秤にかけられることがないよう祈ります。

2011年8月11日(木)  晴   大震災の発生から5ヵ月が経過しましたが・・・

 あの忌まわしい大震災の発生(3月11日)から、今日でちょうど5ヵ月が経過しました。被災地の方々はもちろん復興に向けて頑張っておられますが、直接被害を受けなかった人々も、決して安穏とはしていられない状況であることを、いま一度心に刻む必要があります。


忘るるべからず

 大震災をきっかけに地震を引き起こす活断層の状況や、地震予知に関する研究が、より注力されていることは好ましい傾向だと思います。
 一例として、文部科学省研究開発局が管轄する地震調査研究推進本部のホームページなどは、一般人にも分かり易いのではないかと思います。

 ただ、問題なのは、いくら地震に関する知識が増えて、防災の準備ができたとしても、もし油断や慢心があったとしたら、元の木阿弥になってしまうことです。

 4月に 大震災の二日前に予兆! この事実を重く受け止めたい で記載したように、3月9日には(今から思えば)明らかな予兆があり、東北地方の方々も「近いうちに大地震が来るのは確かだろうな・・・」と自覚しておられた訳です。

 しかし、「まさか、二日後に来るなんて・・・」というのが今回の大震災での実態でした。今回の大震災によって、「まさか・・・は、御法度であること」や「どんな“まさか”が命取りになるのか」が明らかになりましたので、必要以上に委縮するべきではないものの、常に「日本人は揺れる地盤の上で生きている」ことを頭に置いておきたいものです。


地域的な温度差

 この雑記帳にもたびたび記載していますが、東北地方や北関東地方など、被災地や被災地に近い地域での研修・セミナーの仕事が相次いでいます。

 壊れた会場を修理したり、新しい会場に変更したりして、「何とか将来に向けてスキルアップを図りたい。そのために、何が何でも研修・セミナーは日程をずらしてでも実施する」という主催者の気迫が伝わってきます。

 そうなると、講師を務めさせていただく私としても、「何が何でも、具体的な成果を受講生の皆様が挙げられる実践的な研修・セミナーにする。それが、自分が復興に向けて貢献できる唯一にして最大の手段だ。」との思いが強くなります。

 本当に、自治体の皆様、企業の皆様の熱い意志とご努力に、頭が下がり、涙があふれる思いです。私も精一杯の努力で報いてまいります。


 あぁ、それなのに・・・東北・北関東からのキャンセルは一件も発生していないのに・・・なぜ、関西での仕事が「時節柄、イベントの類は自粛させていただく方向でして・・・」などという理由でストップしたままなのか、理解に苦しんでいます。

 いろいろ事情があるのは分かりますが・・・やはり被災地から離れていると、そういう感覚なんですかね。今や「自粛は被災地のためならず」という考え方は常識なんですけどね。
 東京も余震でグラグラ揺れて不安な今・・・関西こそが経済の主導権を握って日本を動かす、くらいの気概を持っていただきたいものですが・・・


 ま、ぶーぶー文句を言っていても始まりませんので、今期後半のMOUは東北・北関東に注力して、微力ながらも復興に貢献することを旨として頑張ってまいります。


                   
  今後30年以内に、震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を示した図 (地震調査研究推進本部のホームページより)

2011年8月10日(水)  晴   キリンチャレンジカップ、日韓戦を再び制して日本が勝利!

 サッカーのキリンチャレンジカップで、今年1月の あわやドーハの悲劇PartU・・・でも、今回は勝った!(アジアカップ)に記載して以来の日韓戦が行われ、日本が韓国に3対0で勝ちました!
 2014年のワールドカップ予選開始まで、公式戦はこれが最後ということで、仕上がりとしての“結果”が厳しく求められる試合でしたが、各選手が十分に役割を果たしてくれました。


お帰りなさい! 香川真司選手

 ケガで苦汁を舐めた香川選手が2得点を挙げて完全復活を果たしました!
   前半35分 FW李忠成のヒールパスを受け、ゴール前の混戦からズドーンとゴ〜ル!
   後半 9分 途中出場のFW清武弘嗣のクロスを受け、ダイレクトにパワフルにゴ〜ル!

 香川選手は、昨年ヨーロッパの代表的なリーグであるドイツ・ブンデスリーガの名門「ドルトムント」に入団し、前半期17試合で8得点を挙げ、ブンデスリーガ公式サイトが選ぶ前半戦のMVPに選出されるという・・・本当にこれが日本人選手か、と思うほどの輝ける実績を残しました。

 しかし、今年1月のアジアカップで負傷して以来、地獄のリハビリに耐える毎日・・・それを乗り越えてのドイツでの公式戦復帰、そして今回の日韓戦における獅子奮迅の活躍・・・日本代表の背番号10は、やはり日本代表を牽引する存在であり、2014年にはベスト4以上に導いてくれる救世主なのです。


さすが! 本田圭佑選手

 やっぱり千両役者よのぉー! 前半は、パスミスやシュートの際の蹴り損ないが目立ちましたが、決めるべきところで決めてくれます。この人が活躍しないと、日本代表の試合は始まりません。
   後半 8分 GKが弾いたボールをFW清武がワンタッチでパス、絶妙のタイミングでゴ〜ル!


僕が選ぶMVP! 清武弘嗣選手

 前半36分、FW岡崎慎司選手に代わって途中出場した清武弘嗣選手は、上記のように香川選手と本田選手のゴールを見事にアシストしました。
 現在、セレッソ大阪に所属する22歳、まだこれから活躍が期待される選手ですが、この大切な試合で2アシストは立派です。2014年には最も脂が載っている頃・・・ホント、期待が高まります。


いつの間にか、海外組が中心

 下記のように、先発メンバー11人のうち7人がヨーロッパのチームで活躍しています。やはり海外のリーグで試合に出ると、パス回しや肉体の当たり、ドリブルの精度、ゲーム作り、ゴール前での瞬時の判断など、実践面で宝物のような経験を積み重ねることができるのです。

 これは2014年のワールドカップに向けて、一人一人の選手の経験量が増大し、チーム内で相乗効果を生んでいくことを意味しますので、本当に楽しみです。

  GK 川島(ベルギー・リールス)
  DF 駒野(磐田)、内田(ドイツ・シャルケ)、今野(FC東京)、吉田(オランダ・VVVフェンロ)
  MF 遠藤(G大阪)、長谷部(ドイツ・ウォルフスブルク)
  FW 岡崎(ドイツ・シュツットガルト)、香川(ドイツ・ドルトムント)、本田(ロシア・CSKAモスクワ)
      李(広島)


                   VS   
          韓国は永遠のライバルではあるけれど・・・もっともっと上を目指していきましょう!

2011年8月9日(火)  晴   TVのモラル低下や緊張感不足が伝染しませんように・・・

 世の中、大震災後の復興とか、原発からの放射性物質飛散による様々な被害とか、アメリカの財政危機に端を発した株安・ドル安・超円高による経済不安とか・・・緊張感を強いられる今日この頃ですが、なぜかオピニオン・リーダーであるはずのTV業界は“のほほ〜ん”とした姿勢で番組作りをしているようです。

 災害、事件、事故といった類のものは、連鎖反応的に連続発生するのが常ですので、影響力の大きなTVの“緊張感の無さ”が飛び火して、目に見えない引鉄にならないことを祈ります。


4日(木) 東海テレビ(フジテレビ系列)のニュース:
 リハーサル用に面白がって作った「セシウム米」のテロップが本番で放映されてしまいました。単なる切り替えミス・・・?
 でも、国民は「TV局の人って、画面では被災地の人々に哀悼の意を表しているけど、裏ではバカネタにしてチャラチャラ遊んでるのね」と気付いてしまいました。

7日(日) フジテレビ 「イケメンパラダイス」 AKB48の前田敦子さん主演:
 この時期だけ戦争や原爆に関する話題を取り上げる風潮も嫌いですが、この時期にわざわざ広島に投下された原子爆弾の通称“Little Boy”とプリントされたシャツを、よりによってトップアイドルに着せることの意味が分かりません。
 何か意図があってわざとやったのか、それとも“Little Boy”の意味を知らなかったのか、どちらにしてもTVが抱える問題の根の深さがうかがえます。

8日(月) フジテレビのニュース:
 サッカー元日本代表で心筋梗塞により亡くなった松田直樹選手の通夜を報じる際、梅津アナが画面の切り替えミスが災いしたとはいえ、笑っているところを画面に晒すという大失態を演じてしまいました。これも、単なる切り替えミス・・・?
 梅津アナ本人も、現場のスタッフも、プロ意識と緊張感が無さ過ぎでしょう。ネットでは「切り替えミスを知った梅津アナが苦笑しただけだから、大したミスではない」という意見もあるようですが、そうだったとしても、下掲写真の笑顔は苦笑の域を超えています。



 さてと・・・あまり他人のマイナス面ばかり指摘していると、「じゃあ、お前はどうなんだ」と返ってきそうなので、この辺で来月の研修資料作りに励みたいと思います。ごきげんよう。


        
  セシウムさんテロップ騒動      前田敦子さんに “Little Boy Tシャツ”騒動    通夜の報道で不謹慎笑顔騒動

2011年8月6日(土)  晴   原子力をめぐる対立軸は、複雑化しています。

 今年も“原爆の日”がやってきました。66年前の今日、広島に原子爆弾が投下され、12万人を超える尊い命が失われました。

 そして今年は・・・福島第一原子力発電所の事故、および放射性物質の拡散による二次被害・三次被害・・・居住地を追われ職を失う人々・・・農畜産物の出荷停止による経済面・生活面・精神面等での計り知れない打撃・・・戦後初めてと言って良いほど国民全体が“核”の脅威を身近に感じたことで、“原爆の日”に対する感慨・感想も従来とは違ったものになっているようです。

 私は、昨年の同時期の 「いきなりで恐縮ですが・・・核兵器廃絶のこと」 および「遠い道程かも知れないけど・・・考えるべきこと」 において記載したように、学生時代に「ワセダ・ガーディアン(The Waseda Guardian)」という英字新聞を作っていたとき、核兵器廃絶の必要性と現実問題について特集記事を組みました。

 それ以来、私は「核兵器は廃絶すべき」「原子力は平和利用されなければならない」という立場をとってきましたが、このたびの福島での惨事、その後の度重なる被害の拡散を見るにつけ、考え方を大きく転換する必要があると身に染みて感じました。


“戦争利用”も“平和利用”も、結局は同レベルか

 この66年間、原子力を「核兵器として利用するのはダメ」「平和利用するのであればOK」というマスコミの論調や専門家のコメントが多かったように思います。私もその尻馬に乗ったつもりはないのですが、結果として同じ傾向のことを考えていた訳です。

 しかし、東京大学の児玉龍彦教授が国会で説明したところによると「福島第一原発から飛散した放射性物質の量は、広島に投下された原子爆弾の20個分(ウラン換算)」ということです。
 その数値が正しいかどうかは今後の検証にかかってくるでしょうが、いずれにせよ多量の放射性物質が飛散していることだけは確かです。
 そりゃあ、県単位で牛肉が出荷停止になったり、遠く離れた静岡県の茶畑までもが被害を受けたりする筈ですよ・・・

 「核兵器の爆発による被害と、原子力発電所の事故による被害とは次元が違う」という反論もあるでしょうが、問題なのは被害の大小ではなく、どちらも「一度暴走すると止められない」「国民に長期にわたる重大な被害を及ぼす」というシンプルな事実なのです。

 その事実をこの4ヵ月にわたって目の前で見せつけられた以上、原子力の平和利用はOKと短絡的に考えるのは非常に危険と考えるべきでしょう。


原子力を平和利用するなら、核兵器を持つのと同じ覚悟で

 今後、原子力をめぐる対立軸は、

    核兵器に反対            VS     核兵器に賛成
    (多くの人が死ぬのは嫌だ)          (抑止力による安全保障が必要だ)

という従来の二次元的なものから、特に核兵器反対派の中に、

    原子力の平和利用に反対     VS     原子力の平和利用に賛成
    (事故が起こると被害が甚大だ)        (現実問題として、電力の確保が大切だ)

といった軸が増えて、複雑化していくと思われます。


 平和利用については、原子力に代わるエネルギーが全面的に実用化されるまでは“必要悪”として求められることになるでしょう。
 ただ、今までのように「平和利用だから、核兵器と比べたら随分と安全」といった妄想を抱くのは危険だということを肝に銘じるべきです。

 アトム君は、核分裂する際に「今は核兵器利用だから、思いっきり分裂してやれ〜」とか、「今は平和利用だから、手加減してやろう」なんてことは配慮してくれないのです。

 また、核兵器であれば各国の軍隊が最高レベルの警備体制で管理しますが、平和利用のための施設の多くは民間で運営されますので、予想以上の天災が起こると福島のような事故が起こり得ますし、テロによる攻撃となると背筋が寒くなります。

 「原子力が暴走しないようコントロールすること」、そして「天災・人災による事故を未然に防ぐこと」に関する“技術レベル”や“管理者の意識レベル”は、まさに核兵器を製造して保有する場合と同じものが求められるはずなのです。


 以上のようなことを考えると、「原子力を平和利用するためには、核兵器を持つのと一緒という覚悟が必要である」と言えるでしょう。

 政府や電力会社の対応を見ていると甚だ心許ないのですが、そこは自分と家族の命に関わる問題ですので、国民が覚悟をもって声を上げ続け、例えば次回の総選挙などで主論点にしていくべきでしょう。


                      
  極論的なブラックジョーク・・・代替エネルギーの分野で利権を発生させれば、脱原発は驚くほど早く実現するでしょう。

2011年8月5日(金)  晴   「研修堂」の月間講師アクセス・ランキング V7達成です!

 研修・セミナー講師の紹介サイト「研修堂」の7月度アクセスランキングにおいて、

   ★「講師プロフィールページ」へのアクセスランキング 1月〜7月度 連続第1位 V7達成

という成果を挙げることができました。詳細については 「研修堂」の私のプロフィールページ をご参照ください。

 今年に入って半年超、ずっと多くの方々にご覧いただいて、本当に感謝するのみです。ありがとうございました。


 年内には、動画を導入して私のメッセージやセミナー風景をリアルにご覧いただきたいと考えています。その時は、またPR活動を「研修堂」以外でも幅広く展開する予定です。

 今後とも、コンサルティングや研修業務を“机上の空論”に終わらせず、あくまでも「成果に直結する実践的なものを提供すること」をモットーに頑張ってまいります。


●「講師プロフィールページ」へのアクセスランキング

     


                      
   念のため、もう一度クリックしてください。⇒ http://www.kenshudo.net/sp_detail/id1237440396-246410.html 

2011年8月4日(木)  晴   ツリー構図で「論理性」を磨くと、「感性」も豊かに!(前編)

「後編」は、9月18日に掲載しています。


 先日、所ジョージさんの「目がテン」というTV番組を観ていて、「論理性」を磨くトレーニングと、「感性」を高めるトレーニングには共通点があると、あらためて感じました。

 「論理性」は主に左脳がつかさどり、「感性」は主に右脳がつかさどる訳ですから、一見まったく違うようにも思えるのですが、そこは同じ脳ミソの中の話ですから、連動性は必ずあります。


知識が豊富な日本人、表現が豊かなフランス人

 番組では、東京とパリの街中で通行人に“絵”を見せて、コメントをもらって内容を比較検討しようというものでした。

 まず、ゴッホの「ひまわり」やミレーの「落穂拾い」など、美術の時間に習ったようなメジャーな“絵画”を見せ、作者とタイトルを質問したところ、日本人の7割近くがきちんと答えることができましたが、意外にもフランス人はゴッホの作品ですら答えることができた人は少数派でした。

 この結果を受けて番組内では「ええ〜っ、芸術のパリでこの有り様?・・・フランス人って、芸術に造詣が深いんじゃなかったの〜!?」と出演者たちが口々に驚いた様子を話していました。

 しかし、次にコメントがし難いであろう“抽象画”を見せて感想を聞いたところ、日本人のほとんどは、
   「なんか気味が悪い絵ですね・・・あとは・・・うーん・・・」
といった感じで、コメントらしいコメントができませんでした。

 これに対し、フランス人の場合は、
   「僕はこんな作品は理解できないよ。色遣いが単調で不気味なだけだし、全体の構成も左側に
    片寄ってバランスが悪い・・・」
   「私はこの絵は好きかな。ちょっと気味悪いけど、色のトーンがグラデーションで変化してる点は
    インパクトあると思うし・・・」
といったように、理解できる人もできない人も、自分なりの感想や考えを話す人が多かったのです。


芸術に対する「感性」を高めるためには

 上記のコメントの違いを読んで、皆さんは日本人とフランス人のどちらが芸術に対して造詣が深く、“感性”が豊かだと思われますか?
 私は、たとえ知識レベルが高くても「わぁ、すご〜い」と言われて自己満足できること以外にメリットを感じることができず、やはり自分の考えや意見をきちんと表現できる方が、芸術への造詣が深いと判断します。


【欧米流の中の日本
 こんなことを書くと、私が“西洋かぶれ”のように思われるかも知れませんが、この雑記帳にもたびたび書いてきたように、私は日本を心から愛し、世界最高レベルの国だと信じています。
 ただ、近代〜現代の歴史の中で、世の中が欧米流の考え方や規範で動いているために、日本がちょっとズレたように見えるだけなのです。

 ただし、日本も明治維新と戦後の二度にわたって欧米流のやり方を受け入れ、なおかつ技術大国日本として国を運営していく以上は、欧米流の好ましい部分は取り入れるべきでしょう。
 また、欧米流と日本流の何がどう違うのかという点も、しっかりと認識しておく方が、コミュニケーション・ギャップをはじめ様々なギャップ(差異によるトラブル)を防ぐことにもなるでしょう。


芸術は誰のもの?
 そもそも、ゴッホが日本の浮世絵から多大な影響を受けていたという事例を出すまでもなく、日本の芸術のレベルは昔から高く、欧米でも定評がありました。

 ただ、日本では芸術は「画家や作家といった専門家のもの」という感覚が欧米より強いように思われます。ですから、素人は「名高い作家の有名な作品をありがたく拝観する」という風潮が広まっているのでしょう。

 素人はうかつに芸術作品にコメントすることは許されず・・・下手なコメントをすると猛烈に批判されたり、村八分に遭ってしまう・・・だから、「誰が作ったのか」「どんなタイトルか」「どの地方で(どの窯元で)作られたのか」といったことが重視され、お墨付きのある作家・作品名・工房や窯などであれば、安心して鑑賞をする“癖”が身についてしまったと思われます。

 その結果、より多くの作家・作品名・工房や窯を知っている人物が“通”ということで、ありがたがられ、ステータスが高まります。


 欧米の場合は、芸術は「自分(自分なり)のもの」という感覚が強いようです。これは、芸術に限らず、政治についても、ビジネスについても、共通して言えることです。
 他の人が何と言おうと、専門家がどう言おうと、「まずは、自分が何を感じ、どう考えるか」というスタンスが根底にあります。


教育の仕方の違い
 こうした芸術に対する考え方・スタンスの違いは、学校での教育の仕方にも決定的な影響を与えています。。

 日本では、まずは作家名や作品名を覚えるところから始まります。芸術の中身を感じたり知ることより、まずは“揺るぎない判断材料”としての知識を得ることが重視されます。

 そして、“揺るぎない判断”は芸術に接した時の表現方法にも及び、例えば絵画を観た感想を言う場合、黄色や朱色が多用されていれば「明るい絵」、深緑色や群青色が多用されていれば「暗い絵」と表現することが無言のうちに強制されます。

 絵を描く場合も、太陽は赤色で表現することが当然のごとく強制され、黄色で表現したら「この子は変わってる」と評価され、青色で表現しようものなら「この子はおかしい」との烙印を押されてしまいます。


 しかし、欧米では芸術作品を観た感想について、自分なりの感想を考えさせ・・・ここからが大切ですが・・・相手にきちんと説明できるよう“考えを整理する”ようトレーニングを繰り返すのです。

 もうお気づきの方も多いと思いますが、その“考えを整理する”ためのツールとして用いられてきたのが、ロジカル・シンキング研修(論理的思考力向上研修)でお馴染みの「ツリー構図(ロジック・ツリー)」なのです。


         


 もちろん、ツリー構図(ロジック・ツリー)を使うのは、芸術に関する分野だけではありません。むしろ、討論会(ディベート)で自分の考えを論じるとき、あるいは物理・化学の実験の経緯・結果を発表するとき、または話すだけではなく、感想文や論文を書いたりするときなど、とにかく自分の頭の中身を“論理的にアウトプットする場面”では、ことごとく使われます。


【ツリー構図を用いるメリット
 欧米人は、ツリー構図(ロジック・ツリー)で自分の考えを整理することに日頃から慣れているので、誰かに芸術作品を観た感想を言う場合も、
  @まず、良い点・悪い点を含め、観た感想をずらーっと頭の中に洗い出す
  A次に、この場でこの人に何を言ったら、この人は納得するかという基準(訴求点)を考える
  Bその基準に沿って、洗い出した中から主なものを選び出し、ツリー構図の大項目に据える
  Cあとは、大項目を示して説明する。時間があれば、中項目・小項目について順番に説明する
といった思考の流れを(個人差は大いにあるでしょうが)組み立てることができるのです。


 また、芸術に対する“感性”とは、生まれつき持っている天才肌の人は除いて、“磨くもの”です。そのため、下記のような日本人と欧米人の対比構図が発生します。

  ●日本人
     揺るぎない判断材料(作家名・作品名など)を持ち出し、良し悪しのレベルを判断する。
     それで安心して、芸術の中身は“ボケーッ”と見てしまう

  ●欧米人
     日頃からツリー構図を使っているので、自分なりの「視点」で芸術作品を観ることになり、
     その視点を否定されないよう、理解してもらえるよう、構図の中で整理していく。

 感性とは磨くものですから、ボケーッと見てしまうだけでは磨かれません。そういう点では、欧米の方が“一般人”が芸術に対する“感性”を磨く上での環境に恵まれていると言えるでしょう。

 ちなみに、日本の芸術家(専門家)は、「芸術を自分のものにできる権利が与えられている」と一般的に見なされ、“自分なりの視点”が当然許され、大いに自由に考え作品に取り組むことができるので、レベルの高いものが仕上がります。

 以上が、世界的にもレベルの高い芸術作品を日本人が生み出しておきながら、街中の一般日本人が上手く表現できないメカニズムだと私は考えています。



 何度も言いますが、私は日本が世界最高レベルの国だと信じています。ただ、上記の「自分なりの考えを整理する」というトレーニングにおいては、まだまだ欧米流を学ぶ必要があると考えています。
 そうすることで、もっと国際舞台の中で日本人が主張し、有利にネゴシエーションを展開でき、技術大国・経済大国としての地位を確保できるようになるのです。

 では、ツリー構図(ロジック・ツリー)をどのようにして活用すれば良いのか、そのポイントを次回の後編で記載したいと思います。


                      
        ツリー構図の「大項目」を効率よく考え出すトレーニングが大切です。(詳細は「後編」にて)

「後編」は、9月18日に掲載しています。

2011年8月3日(水)  曇   最近、“ちりめんじゃこ” や “しらす”に恵まれています。

 昨夜、浜松から帰ってきました。浜松といえば“鰻”を思い浮かべる人が多いでしょうが、私は昨年の浜松出張でさんざん“鰻のかば焼き”“鰻の白焼き”を食べたので、今年は浜松のもうひとつの名物しらすをたっぷり使った“しらす弁当”を味わいました。
 ・・・本当は、今年はスケジュールが過密で、専門店でゆっくり“鰻”を食べる暇がなかったのです。


しらす弁当

 しらすをたっぷり白飯の上に敷き詰めたシンプルさがいいですね。しらす自体は淡白なので、紅ショウガを合せて食べると、ピリッとした辛みが微かな潮の香りと絡んで、丁度良いです。少なくとも、醤油をドバーッとかけるような無粋な食べ方はいけません・・・


ちりめんじゃこパスタ

 先週の土曜、福岡から送られてきた“ちりめんじゃこ”を使って和風パスタを作りました。玉ねぎ・にんじん・シメジ・ピーマンを炒めるのに酒と醤油をわずかにかけただけで、メインの味付けは“ちりめんじゃこ”の塩気に頼りました。

 いつものエビやイカを使った海鮮パスタもいいけど、こうしたシンプルな和風のパスタも美味しいですね。けっこう気に入りました。


     
  “じゃこ”と聞いて、ウェザー・リポートでフレットレスベースを弾いていたジャコ・パストリアスを連想したあなた!
  機会があったら飲み明かしましょう、たぶん朝まで話題が尽きないと思います。


                
  今年はまだ “生しらす” に出会っていません。そろそろ沼津の丸天に行かなければ・・・

2011年8月1日(月)  曇   今日から8月、個人的には盛り沢山な予定で楽しみです。

 先月は、東日本を中心にあちらこちらへ出張に出たため、私としては“あっ”という間に過ぎ去ってしまった感があります。

 夏真っ盛り・・・今月もそれなりに忙しいのですが、いろいろ楽しみな予定も続きますので、雑記帳のネタ枯れは防げそうです。


今月の主な雑記予定

 今月は、『広島・長崎の原爆記念日』・・・それを迎えるにあたって終息の気配を見せない原子力発電所の事故・・・、『終戦記念日』・・・それを迎えるにあたって火種としてくすぶり続ける尖閣諸島問題・竹島領有問題など・・・原子力とどう向き合っていくのか、アジアの中の日本は中国や韓国とどう付き合っていくのか、考えるべきことは山積しています。(いいタイミングで書けるかどうかは、今のところ未定です・・・)

 それ以外のビジネス編・プライベート編での記載予定は下記の通りです。


ビジネス編: ロジカルシンキング

 これまでにも何度か「ツリー構図(ロジックツリー)」を利用した「ロジカルシンキング(論理的思考力)」を取り上げましたが、ツリー構図を使いこなすトレーニングをしていると、“論理性”が向上するだけではなく、意外なことに“感性”も磨かれるという事象について解説します。


プライベート編: 中国レポート

 約5年ぶりに北京・上海に行きますので、中国レポートを掲載します。あっ、言っておきますが新幹線には間違っても乗りませんから、その方面のレアなネタは期待しないでください。
 ただ、オリンピックと万国博覧会という二大国家プロジェクトを成し遂げた中国の“今の姿”は存分に書けると思います。

 あれは中国ビジネスに関わっていた1990年代・・・改革開放により加速度的に経済成長を始めた頃に北京・上海を初めて訪れました。
 その時、紹介を受けて上海東方テレビ局内のかなり奥の方まで見学させてもらい、驚きました。おそらく、当時の世界最高峰の機器が集められており、メーカーもアメリカのGE、日本のソニー、オランダのフィリップス等々、よくぞそこまで集めたという感じでした。

 その時は、世界中の優秀なものを集めて発展していこうという意気込みに対してプラスの評価をしていましたが・・・今となっては・・・寄せ集め技術を、きちんとしたコンセプトと責任感においてコントロールしなかったために、今回の新幹線の脱線事故が起こってしまったといって過言ではないでしょう。

 たぶん、他の分野でも同様の歪が出ているはずで、これが今後の中国の発展にどのような影を落としていくのか、アジアを共に牽引していくはずの日本としても十分に注意を払う必要があります。


 こうした過去の見聞や経験もあるため、このたびの北京・上海行きは非常に楽しみでもあり、もしかすると今後のMOUの活動を大きく決定付けることになるかも知れません。


                      
          とか何とか言いつつ・・・観光レポートとグルメ・レポートに終始してしまったら、ごめんなさいね。

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